17歳新聞 第12号
この17歳新聞は校内の特命編集部一同がつくりました。

新聞局員

編集長
第12号編集長 澤山 初音
編集者
池田 くるみ 吉田 佳乃子 高橋 麻莉
宇佐美 舞
発行責任者
局長 澤山 初音
顧問教諭代表 横山 学

新聞局員

取材協力

北海道日本ハムファイターズ
北海道日本ハムファイターズ
www.fighters.co.jp

行事別レポート(高等学校)
17歳新聞 第12号
北海道はひとつの国

プロにおハナシ聞いちゃいます!おしえてシゴト人

1961年生まれの52歳。 小・中・高の教員免許を持つ。 東京学芸大卒業後、プロテストを経てヤクルトスワローズに入団。 1989年にゴールデングラブ賞を獲得し、翌年に引退。 その後はスポーツキャスターや野球解説者、大学教授として活躍し、著書はもちろん歌も出す。 2012年に北海道日本ハムファイターズの監督を務め、1年目でチームをリーグ優勝に導く。 栗山青年会議所の30周年記念事業に招かれたことをきっかけに、2002年に私財を投じて『栗の樹ファーム』を設立。 道産子と北海道の良さを全世界へ伝えるというHOKKAIDO PRIDEをコンセプトに、2014年は日本一をめざし、北海道に歓喜の輪を広げる。

サイン色紙には「夢は正夢」、持ち物には北海道の形の刺しゅうを入れている。
どんな高校生でしたか?
一直線な感じでしたね。甲子園をめざして、プロ野球選手になろうと決意していました。学生はスポーツと勉強の両方をするべきという父親の意向も強かったので、野球の名門というより、地元の学校を考えて進学しました。その高校が野球を強くしようとしている学校だったので、ただひたすら野球を一生懸命やりましたね。家に帰ると10時とか11時になるような練習をしていたので、あまり勉強する時間はありませんでしたね。
高校生は何をすべき時期ですか?
高校や大学というのは、野球においても一番うまくなれる時期。スポンジである状態というか、何でも吸収できる状態。理想は勉強を一生懸命やったり、本を読んだりした方がいいと思います。でも何より、自分が好きなことを一生懸命やってみるときですね。好きなことを誰よりも好きになって、とことんやっていくと、次に何か目標が見つかったときに、同じように頑張れることもあると思うんです。何かひとつ好きなことを持って、精一杯自分の好きなことをする時間をつくって欲しいなって思いますね。
- 創刊号のグッチーさんもスポンジという言葉が出てきました
やっぱり高校時代にやったことって忘れないですよね。今なんか、すぐに忘れちゃうんですよね。今勉強したことも、何か話そうと思ったことも。高校のときに友だちとやったことや話したこと、読んだ本とか全然忘れていないんですよね。それって長い記憶の中にちゃんと残っているのだから、やっぱりこの時期って大事な時間ですね。充実させてほしいです。
高校球児にとって大切なことは何ですか?
「自分でやる」ということですね。うまくなるには反復練習。体を無意識に動かすためには、当然反復練習は大事だね。野球っていうスポーツはコツのスポーツなので、ずっと練習しても右上がりに上達するわけではないんです。苦しんで、苦しんで、苦しんで、何かの拍子でぴょこんと階段を上がる。そしてまた、苦しんで苦しんで、ぴょこんと上がる。そんなことの繰り返しなので、コツをたくさん持っている人が強いですね。人からやれと言われた練習ではなかなかコツはつかめません。「自分はこれが足りないから何とかしたい」って自分で工夫して考えているうちに、何かが生まれてくると思います。
- 札幌大谷の野球部は北海道大会で準優勝しました
そこまでのレベルにきているのであれば、まずはしっかりとした体力が必要。イチローの何がすごいかっていうと、技術はもちろんですが、好きな練習を誰よりも長く練習できる。これが一番すごい所。イチローをずっと見てきて思うんです。体の強さが必要。超一流になるためには「体力」です。それは全然表には出てこないもの。「イチローは技術がすごい」ってみんなは言うけれど、そうではありません。イチローはプロ野球選手でも1時間位でバテてしまうことを、2時間とか3時間平気でやってしまいます。なおかつ、怪我をしない。だから好きな練習をいつまでもできるっていうことなんですよね。

野球部がそこまで強いのであれば、「そこから今度は?」と考えてやること。例えば、当時のオリックスの監督だった仰木さんが「栗、お前時間あるなら見てけ」って言ってくださり、イチローが3〜5年目(24、25歳)のキャンプ練習のときの話をしますね。キャンプの全体練習はだいたい15時半くらいには終わるのですが、そのあとにイチローがひとりでマシーンを使って打ち始めました。普通だとプロ野球選手が一球一球試合だと思って必死に打っていくと、だいたい1時間くらい経てば、だんだんバテてきます。そのため、動きがだんだんダメになり、”ボール球”にも手を出したりします。でもイチローは2時間半も同じように打ち込んでも、動きは最後の最後まで変わりませんでした。あとで「イチロー何してたの?」と聞くと「常に同じポイントで打つと、レフト線にボールが飛んでいって、自分のイメージではボール1個分が外に出てファールになる。同じ打ち方でボール1個分を中に入れたくて」という理由で2時間半打ち続けてたそうです。そんなことを考えて打ってる人なんかいませんよね。細かい目標設定をして、ひたすら自分の技術を求めていくという集中力とそれをやれる体力。結局は、そういうものの積み重ねが超一流の人間を作り上げていくと思います。

そんなことできれば、イチローになれる可能性はあると思います。何が必要なのかということを自分で考えてるということですよね。野球部のレベルが高いのであれば、やっぱり人にやらされるのではなくて、自分でやる。「何でも自分からやってるんだ」っていう意識が、そういうものを生み出す可能性があると思います。
イチローの反復練習についてわかりやすく説明してくれた。 イチローの反復練習についてわかりやすく説明してくれた。
なぜ学芸大に入ろうと思ったのですか?
父親が「学生の本分はスポーツと勉強と遊びで、全部やるのが学生の仕事なんだ」と、野球だけで大学を選ぶのは許さないという雰囲気がありました。東京六大学で野球をやりたくて、六大学と学芸大を受け、先に合格した六大学の方には授業料も入学金も払っていましたが、学芸大にも合格したときに、父親と話をして「本当に野球が好きだったら、長く野球やるにはどっちだ?」という話になりました。プロは40歳くらいで終わるけど、学校の先生になって野球教えれば、60歳、70歳まで好きな野球のそばにいられる。どっちの方が合っているかを考えたとき、自分でやるよりも指導者をめざそうと思い、学芸大に入学しました。
どうしてプロ野球選手に?
そうですよね。そんな人間がどうしてプロに入ったかというと、「教員はあとからでもできるが、野球選手は今しかできない」と思ったからですね。教員免許がとれたので、教員よりも先に野球を続けようという感じで、プロテストを受けました。
教員になる勉強をして、役に立ったことは?
今、監督という立場において「指導者」という意味では、学校の先生も同じですよね。例えば、人に教えるということは、まず人の話を聞くということなど、基本的に「教える側の姿勢」ですね。それは大学のときに身に付いたので、すごく感謝しています。自分が教えるということよりも「子どもたちの話を聞かなきゃ行けない、どう思っているのか知ってあげなきゃいけない、まず見なきゃいけない」と思います。どうしても自分から言いたくなってしまうところが意外と止まっていられるのは、僕にとっては学芸大で学んだことが大きいですね。
栗山さんって、歌を出してますよね?
よく知っていますね(笑)。作詞作曲をした「さだまさし」さんは、もともとヤクルトファンだったんです。僕が選手のときに、まさしさんも腰を悪くしていて、怪我の多かった僕に「歯の矯正をすると腰が痛くならないとか、テンプレートを作るといい」など、いろいろと言ってくれました。そこからの付き合いがあって、それで今年(2013年)の札幌ドーム開幕戦でさだまさしさんに歌ってもらったんです。僕が監督になったとき、冗談で「優勝したら歌ってやるよ」と言ってくれて、優勝したから「いつ来てくれるんですか?」と言ったら本当に歌ってくれたんです。
- おもしろい繋がりですね。
そういう人たちの応援って、すごいです。現役時代に長崎に行ったとき、まさしさんのファンだからと言って、まさしさんがいないのに「ここでご飯食べなさい」と言われて、栄養をつけてくれたこともありましたね。いろんな人たちとの付き合いみたいのはやっぱり大きいですね。我々も信念をもって、大谷翔平のこともやってるなかで、まっさんはまっさんの思いでメールくれたり「頑張れ」って言ってくれたりする。周りの人たちのつながりっていうのは大きな力になりますよね。

ファンの喜びが舞い上がる札幌ドーム。 ファンの喜びが舞い上がる札幌ドーム。

監督として、思い切った決断をするときの気持ちは?
- 近藤選手の外野起用もありましたね。
痛いとこついてきますね(笑)。自分の中では、もちろんいろんな所から、いろんなことを言われています。ただ、「人が育つ」というのは、「人を育てる」という意識ではなくて、「人が育っていく」んだと思います。成長するということは、それぞれ持っているものが勝手に花を開いていく。だから、育っていくために僕らが教えるのではなくて、花が開くために、水が必要になったら水をあげ、肥料が必要だったら肥料をあげるだけの話。

近藤の場合は、彼はキャッチャーなので、キャッチャーというポジションは一つしかなく、試合に影響あるポジションだから、近藤に任せる試合はあまり多くありません。だとすると、「将来この選手がこのチームに必要であれば、守備と打撃を別々に分けて成長させないと成長が遅くなってしまう」という気持ちが自分の中にあったんです。今年はそういう成長の機会をどんどん投げかける必要があるシーズンだと思っていたので、どう反対されてもそこだけでも前に進めるっていう意識があったのでやりました。

やっぱり若い人は、とてつもない爆発力を持っています。この力はベテランにも良い影響を与えるものであって、すごいものに変える可能性を持っています。そんな力をチームは欲しいし、ファンも見たいのではないかと思っています。だから、若い選手には私たちが信頼して、大胆なことをやらないと力が出てこないところもあると思います。若い人のそんな力を引き出すために、どうしたらいいかって考えながらやっています。
試合中の心境を教えてください。
心臓が破裂するくらいドキドキしています。野球というのは失敗するスポーツなので、「そんなことはいくらでもある、よっしゃ行こう」と思っていても、「あぁ、しっかりやれよ」と思うこともありますね。表情に出していたら、僕の心の動きは選手に微妙に感じ取られてしまい、選手たちは「あぁ、しまった」と思うと、選手はプレッシャーを感じてしまいます。だからいつも、心の中ではいろいろと思っていても、「俺はお前たちを信じた。だから思うような結果が出なくても、お前たちのことを信じたのだから、悪いのはこっちだ。好きにやってこい」と思うようにしています。
試合に負けてしまったときの気持ちの立て直し方は?
プロ野球は1シーズンで144試合あるんですね。「負けを絶対、次の試合に生かしてやる」と思うことです。生かせることができれば、負けた意味もあるんだと思えるし、大事なことは負けたことに反省することではなくて「負けた中で自分は準備をやり尽くしたのか?負けた要因は自分が決断するまでに準備が足りていたのか?」と考えることです。

相手のピッチャーの出来や相性などを考えながら勝負しています。準備や想定不足で負けることが一番ダメなので、負けた結果よりも過程において「自分がやり尽くせたのか」を考えています。自分ができていなければ反省します。「これが足りていない、これは二度とやってはいけない」と自分で整理します。当然結果が出ていないときは、何かが足りていないので、それを整理します。整理することで切り替わらないし、切り替えは絶対にできないから、気分転換なんてできるわけがない。気分転換するためには優勝するしかない。

だから、シーズン中は切り替えようともしないし、苦しくても当たり前だと思っています。最後に笑えばいいって思っていますね。勝たない限り、気分転換なんてあり得ないし、何を食べてもおいしくないし、好きな本を読んでいても楽しくないし、試合に勝つ以外楽しいことは何もない。「切り替えることよりも自分がやるべきことをきちんとやる」ということだけですね。だから、監督はあんまりやらない方がいいと思いますよ(笑)。
体調管理で気をつけていることは?
眠れないときも多いけど、布団の中に入ることは気をつけています。プロ野球は移動がものすごく大変だったりもするけど、食事の面についてはチームと一緒に食事しているので、朝昼晩必ずバランスいい食事がとれるようになっているんですね。だから、自分が意識するのは、寝る時間だけはキープすること。寝れないんだけど、横になって休むということだけは意識していますね。本当に気をつけないと、「何であのとき、自分たちのことだけじゃなく、相手のことも気にしなかったのか」など、試合中の判断で後悔してしまいます。考えることにもバランスがあるんですよね。

試合で一番大事なことは考えるスピード。試合は待ってくれないので、準備はしていても、突然起こったことへの判断を間違えるときがある。「あ、痛っ!こっちじゃない!」みたいなことがあって、頭の中のスピードを常に全速力にしておくための体調管理みたいなことを気をつけています。よく「体を壊さないようにしてください」って言われるのですが、きっと壊すのですよね、こんなことやっていると。だけど、やっている間はそんなことよりも瞬間的に一番いい判断ができる状態、疲れていてモワっとしてると、考えるスピードが遅くなってるときってありますよね?みんなの若い世代にはないのかもしれないけど、そうならないように若い世代の頭の使い方ができるようにしようとしています。

選手を信じて決断する栗山監督。 選手を信じて決断する栗山監督。

お酒は飲まれるんですか?
最近はちょっとだけですね。監督になってから2年間、シーズン中飲めなかったですね。胃が痛いし、体がおかしいし。監督さんによってはお酒の量が増えると言うけれど、僕がもしお酒を飲んだら、完全に体壊すだろうなと感づいているので。多分受け付けなくなったのでしょうね。オフになると、食事ごとに少し飲んでますが、飲まないようにしているっていうより、飲めなくなるっていうのが現状ですかね。胃薬は毎日3食飲んでます。本当にこの仕事は特別な仕事ですね。一人一人の人生を変えてしまうので、その選手の家族の人生も。そんな責任があるので。
試合の前に食べる勝負飯は?
勝負飯ではないですが、この2年間、試合前は毎日うどんを食べています。どちらかというと、人間って空腹のほうが集中できるといいますよね。試合が長くなる可能性があるので試合前に多少食べておかなければならないけど、胃に何か入っている感じだと思考が落ちるので、消化のいいものをと思い、うどんを食べるようにしています。毎回そうしていると、今度は性格的に続けていますね。たまにはラーメンを食べた方がいいんじゃない?って言われますが、食べられないですよね、それが。本当に。
- 飽きないんですか?
よく言われるのですが、飽きないんですね、これが。
- 味は変えたりしないんですか?
変えませんね。札幌ドームではちゃんと関東風とか関西風とか変えられるけど、そういうのも変えませんね。いつも同じ、関西風のうどん。変えると何か特別なこと、大変なことが起きてしまいそうな、勝手に自分に暗示がかかっているというか、試合中に選手が大きな怪我をするんじゃないかとか、余計なことを考えてしまうので、なるべく同じ行動をとるようにしています。
- 監督は神経の使い方がすごいですね。
監督は長くやる仕事ではないですね。僕には能力はないけれど、監督というのは、やっている間だけでも本当に選手のためにやりきった、と言えるようにしていくだけですね。
頼りにしている人は?
球団のスタッフですね(取材中、周りにいた球団の方々を見て笑顔)。この球団の人たちは本当に能力があって、一生懸命チームのことを愛している人が何人もいます。そういう人がいてくれることで、「僕が本当にチームのことを愛しているのか、本当に選手たちを自分の子どもだって思ってやれているのか」と常に確認ができます。球団の人たちの姿勢を見ていると頼りになります。

僕たちは結果が良かったらみんなに褒めてもらえますが、そういう裏方さんは褒めてもらえませんよね。でも、僕以上に一生懸命チームを愛して、考えてやっている。僕が「どうしようかな」とちょっと考えているときには、スタッフは背中を押してくれます。僕の気持ちを察してくれたり、「まっすぐ進んでくださいよ」などと声をかけてくれます。僕がこのファイターズで監督をさせてもらう意味を感じます。幸せですね。

リーグ優勝4回のペナントが並ぶ球団事務所。2006年は日本一。 リーグ優勝のペナントが並ぶ球団事務所。2006年は日本一。

選手育成と試合結果のバランスは?
- 教員は結果よりも生徒の成長、でもプロの世界は過程よりも結果のように感じていたのですが、何だか成長を重視されているように感じます
僕が考えていることが正しいとは決して思いませんし、ただ自分のやり方しかできないというのもありますが、大谷翔平に言ったことがあります。君たちとほとんど歳は変わらないよね?二刀流。二つやることは大変だったと思うんですよ。シーズン終わってから、いろんな方に「ふざけるな」とか「なんで一つにしないんだ」って、ものすごく怒られています。きっと、あいつの耳にも入っているはずだと思うんです。でも翔平は「僕の耳には全然入ってません」という言い方をするし、二つを怪我なくやったのは、本当によくやったと思うんですよね。

ただ、翔平にこの1年間が終わった後に言ったのは「どんなにすごいことやっても、世の中のことっていうのはプロセスが大事なんだ。もちろん、どんな気持ちでどのようにその過程を過ごしていくかの方が絶対大事。だけど、プロ野球においては申し訳ないけど、結果が出ないとその過程さえも否定されてしてしまう可能性がある」って。

僕がプロ野球の監督になって感じたのは、結果は別として、今までずっとプロセスを大事に精一杯やりきることをやってきました。けれど、結果が伴わないとゼロになってしまう世界もあると思うんですよね。翔平には「来年は結果残せ。何でもいいから結果残せ。そうしないと説得力をもたない」と言いました。

そうは言っても、結果を求める過程と成長が一致するということが、一番いいことだと思うんですよね。でも、それはいつも一致はしない。「僕がクビになって彼らが成長するならそれでいい」という気持ちはあります。僕が辞めてファンが喜ぶのならばそれでいい。それが監督の仕事なので。でも、ファンとは優勝して一緒に喜びたいし、一緒に喜ぶために勝つという責任もある。だから選手には、勝つことがすべてなんだという言い方をします。ただ、僕の心の中は、人が育つというほど大きな財産はないと思ってます。
- プロの世界で勝つと育つ、苦労しますね
どこまで選手にプレッシャーをかけて、どういう風にしていったらいいのかというのもありますが、プロの世界なので負けてもいいということはない。勝つというはっきりとした目標に対して、自分は今何をしたら勝てるのか、それができるためにはどんな準備をするのか、どんな練習をするのか。勝つというのはすごく大切なことで、そのためには自分のすることがはっきりします。いつも勝つためには相当練習しなければなりません。だから、はっきりとした「勝つ」という目標に対して、自分の逆算をさせるというのは絶対的に必要なことだと思います。

僕たちは勝つためにやってるんだけれども、若いときに失敗を繰り返さない限りうまくならない選手もいます。「これはベストメンバーなんです」と口では言いながら、彼らの成長を待っているということも当然あるわけですよ。でもそれは、絶対に悟られないような表現をしますけどね(笑)。

正直、(勝つと育つの)どちらが大事かといったら、こんな監督が言うのは申し訳ないですけど、先生方が「成長させる」という思いで育てられた子どもたちの方が幸せだと思います。すごくそう思いますよ。実際にされている先生方は本当に大変だと思います。僕らははっきりクビとか言ってもらえるので、逆に好きなようにやれて、やりやすいかもしれませんよね。先生方は本当にすべてを背負わなければならないので、大変だと思います。僕はそういう気持ちでやっていますね。
解説者のときから監督をやりたいと思っていましたか?
監督をやりたいなというのは…、あったのかもしれないです。でも正直、解らないです。ただ、監督として呼ばれるような仕事をしていかなければいけないという気持ちはありました。要するに、伝える仕事というのはメディアに出て行く仕事であって、監督をできるような勉強と伝え方をしていくということは、自分の進む道の指針のひとつでしたね。でも、監督をやるなんて考えていなかったです。だから、最初に監督の話をいただいたとき「本当に俺でいいの?」という感じでした。監督になって一番驚いているのは、僕かもしれないですね。
目標は何ですか?
やっぱり日本一になりたい。それは自分のためというより、ファンや選手のため、選手の家族のため。リーグ優勝したときに家族全員を連れて優勝旅行をしましたが、やっぱり家族の皆さんのうれしそうな顔を見たとき「はぁ~よかった」って思ったんです。無理してもらっている選手たちの家族の皆さんに、もう一回喜んでもらいたいなという思いがあるので、まずは来年(2014年)、日本一になることが目標です。

あとは…、十年後にでも、今一緒にやっている選手たちがすごく頑張って、一流選手になって「監督、元気ですか?飯でもおごりましょうか?」って言ってくれるのが一番幸せかもしれないですね。

選手と交わす、おかえりのハイタッチ。 選手と交わす、おかえりのハイタッチ。

北海道のファンをどう思いますか?
ある人から「札幌はバスや電車でシルバーシート(優先席)が空いてても、座らずに空けておく」という話を聞きました。東京なんかだと意外と普通に座っていたりするんですね。北海道ってそういう「思いやり」が残っていますよね。そういう「日本人が昔から大事にしてきたもの」っていうのはやっぱり大切です。北海道に残っていると思います。北海道が大好きですね。僕は80歳、90歳のファンの方から手紙をいただくんです。僕の母親よりも年上の人が応援してくれたりするから、冗談じゃなく、苦しいとかつらいとかしんどいとか、言っちゃいけないと本当に思う。解説者のときに、監督になる前に、そんなことが大事だって言ってきたけれど、今は身をもって感じますね。

北海道の皆さんの思いは我々に力と勇気を与えてくれています。なんとか恩返ししなきゃいけない。今年(2013年)みたいなシーズンになると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですね。なんか、謝り過ぎだって言われるけれど、本当にごめんなさいって感じです。「見ていてください、一緒に苦しんでください、来年(2014年)は一緒に喜びますから」という感じです。
- ファイターズが北海道を元気づけてくれていて、すごくうれしいです
僕のアンダーシャツやスパイクとか、持っているものには北海道の形(地形)が刺しゅうされてあるんですよ。北海道ってひとつの国だと思っているので、絶対どこの国にも負けないって。だから立ち居振る舞いを含めて、僕たちがちゃんとしなければいけません。選手たちにもうるさく言うのは、本当に世界一になろうと思っているから。馬鹿にされるときもあるけど、本当に北海道は一番になれると思っています。北海道で生まれた素晴らしさとか、そういうのを感じてほしいです。

この前、栗山小学校に行って全員にカードを配りながら「栗山で生まれて生活していることは素敵なことなんだよ」って小学生に言ってきました。全然わからないと思うんですけど、そういう北海道のすごさとか、北海道の持っている「ちから」みたいなものを伝える責任がファイターズにはあるので、それをやっていきたいですね。誰に対しても「だから北海道が一番になりました」って言いたいです。
栗山町の魅力は?
やっぱり、土の力っていうか、地面が育む力ですね。人もすばらしいです。栗山町から札幌ドームに通っていて、雪が解け、田植えが始まって、収穫して、いろんな野菜ができてっていう四季を見るときに「我々は土の力で生かされている」と感じます。山に入ってきのことか三つ葉とか、食べられる野菜を採ったりするので、そういうときに我々は単純に生かしてもらっていると思います。まさに北の国からで五郎さんが最後に言うことを感じていますね。これだけの「人として大切なことが周りにあるところはない」と思います。人間は自然の中にいるべきものです。その素晴らしさは、栗山町の人たちに訴えてます。外から来た人間のほうがその良さをわかったりするので。

この前、富良野に行って倉本聰さんといろいろ話をしたんですが、「人はなんで生きてるのか」という原点に教わることすごく多かったです。「人に問う」ってすごいです。倉本さんは本当に北海道がお好きですよね。気持ちがわかります。僕がファイターズの仕事を辞めたら、北海道で農業をやりたいなって思っています。でも自分で何もつくれないから、生きていけないかもしれませんね。

栗の樹ファームに球場をつくって、もう14年くらいになるのですが、刈った芝を山にしているところがあって、芝の草でもその下の方は「土」ができているんです。そこにクワガタの幼虫などが入れるようになっていて、そういうのを見ていると、何だかとても感動しちゃうんですよね。子どもに戻ってね。そんなことを将来できたらいいなって思ったりします。毎日、ギリギリの勝負の中で生活をしていて、勝っても喜びではなく「明日は大丈夫なんだろうか」って考えてしまいます。負ければ「俺、どうなっちゃうんだろう」って思いながらの生活ですが、栗山に帰ってそんな自然に接してると、ふとその瞬間を忘れられます。これって大切なことですね。
北海道って、いいところなんですね。
「監督、今それは無理です」って言われましたけど、将来はファイターズの人はみんな北海道に住むべきだと思います。どうしても雪の問題があるため、二軍は千葉の鎌ヶ谷にありますが、いずれそういう時代がこなければいけないので、北海道の暖かいところにドーム系の球場をつくるなど、いくらでも練習の仕方はあると思うんですね。ただ、イースタンリーグで移動にお金がかかってしまいますが…。このチームには、高校生や若い世代と交流していくという責任があるので球団スタッフと一緒に考え、北海道のために少しずつやっていければいいなと思います。そうなったらいいですね。みなさん道産子は北海道で生まれて育ったことを誇りに思って、(北海道を離れても)北海道に戻ってきてほしいですね。
卒業生へメッセージをお願いします。
高校を卒業するというのは、大きなきっかけですよね。大学にいく人も、就職する人も、浪人する人もいるでしょう。自分の足で歩き続ける第一歩なので、きらめいてというのかな、自分はこの先どうなるのかという不安もあるでしょうが、先に夢があることでその不安だってきらめくようにドキドキしながら歩いてください。みんなの時代は不安の方が大きいかもしれないけど、逆に言えばどうにでも変われるのだから、「もっとこんなふうになれる」と思って、自分で切り拓いてほしいです。一つだけお伝えするなら、「どんなに苦しい状況になっても、自分のことだけは信じてあげてほしい」ということですね。今は大変で結果は出ていなくても、「私、最後は頑張れるんだ」っていうのがなくなっちゃうと苦しくなってしまうと思います。自分のことは自分だけでも信じてあげてください。

ファイターズマスコットB・B。モヒカンの色は日替わり。 ファイターズマスコットB・B。モヒカンの色は日替わり。

編集後記

取材を終えて、印象に残っているのは、栗山監督の優しさと強さです。自分のことよりも、チームのこと、北海道のことを考え、愛している姿に感動しました。また、監督を支えるたくさんの人がいるからこそ、強くて優しい監督でいられることも知りました。「今シーズンこそは日本一になる」という言葉が心に響き、ファイターズを応援したいという気持ちが強くなりました。これからも北海道にとって自慢のファイターズでいてください。お忙しい中、監督、球団スタッフの方々には親切にしていただき、大変感謝しています。
高校3年生の局員にとって最後の新聞発行となりました。今まで取材させていただいた方々に学んだことを胸に、これからも頑張っていきます。新聞発行に関わっていただいたすべての方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。

あの日から3年…

昨年3月、U型テレビの大村正樹さんに宮城県の被災地を取材する機会をいただき、4月に新聞を発行した。その後、気仙沼市の陸地に打ち上げられた「大型漁船」は住民の強い要望で解体されたが、南三陸町の「防災対策庁舎」は保存で震災の教えを伝えるべきという声が多く、結論は出ていない。大川小学校はあの日のまま時間が止まっている。震災廃棄物(がれき)処理場は役目を終え、すでに撤去されたところもある。 復興工事は進んでいるようだが、今も行方不明者を捜索し、長く続く仮設住宅生活に心が休まないという。

現在の防災庁舎。地震直後も小雪が降る日だった。

3.11あの日から3年…。わたしたちは今、何ができるだろうか。時とともに被災地の光景は変わっても、そこに寄せる心を変えてはいけない。被災地の多くは漁業と観光のまち。自分の目で見て、話を聞いて、復興に役立つことを考えてほしい。決して震災を風化させてはいけない。「忘れないこと、それも復興です」。この言葉が今も強く残っている。

南三陸ホテル観洋のスタッフによる「語り部バス」。自らの体験と被災地の現状を生き残った使命感で伝え続けている。

全国選手権大会報告

サッカー部、初出場

歴史ある国立競技場に立ち、開会式で堂々と行進した。試合は0-3で初戦敗退となり、目標の全国初勝利・初ゴールはできなかったが、田部監督は「今までの全国は強豪相手にボールを奪うことで精一杯。でも今日は自分たちのプレーもできた。チームは成長している」と最後まで懸命にボールを追い続けた選手たちを称えた。
関東の大学に進学したOBや創部1年目の苦労を知る卒業生も応援に駆けつけた。「地区の初戦で大敗したチームが、わずか5年で…。チームは自分たちの誇り」と話す1期生のマネージャー遠山さんは、逞しくなった後輩の姿に目を細めた。サッカー部の新たな伝統が始まった。

高校サッカーの聖地で入場行進をする選手たち。

卓球部、惜しくもベスト8

卓球日本一を決める全日本選手権。ジュニアの部(高校2年生以下)で1年の佐藤瞳さんがベスト8。「自分らしい試合ができなかった。次はチームに貢献したい」と3月の高校選抜では「北海道から金メダル」をめざし、団体戦に力を入れている。一般の部では高校生ながら6人が出場し、ダブルスで高原・水野組がベスト32と健闘した。

19年連続で全国出場している卓球部。

“春高バレー”12年連続出場

2回戦から登場し、柏井高校(千葉県)と対戦。相手は昨年度3位の強豪校。1セット目は3年生のエース小室さんの活躍で25-23と先取するも、2・3セットは前半にできた点差を最後まで詰め寄れず惜敗。2年生の森元さんは「精神面で勝負できるチームになる」と自分に厳しく練習に打ち込み、授業をおろそかにしない。日常生活から日本一の高校生をめざすバレー部員。今年も大いに活躍してほしい。

せんせいずかん

サイトウカナエ

ブインタビュー

片山柊 鈴木椋太

高め合う仲間

「鈴木くんは練習量と集中力がすごい。 努力が音に出ている」、「片山くんは才能がある。 作曲もでき、音感もよくてうらやましい」と、互いに尊敬している。 技術を高め合う二人にとって、音楽科の仲間の存在がとても力になり、学ぶことも多い。

それぞれの習慣

コンクールで大事なことは発表前の「深呼吸」。 落ち着くためには不可欠という。 鈴木くんの元気の源は「コンクール後のスルメと炭酸ジュース」、片山くんは「いつだってチョコレート」と笑顔で教えてくれた。

ピアニストは引き立て役

音楽には現実と少し離れた世界を体験できる魅力があるという。二人はともに聴く人にもそんな体験ができるような演奏を心がけている。 「あまり知られていないような曲の良さを広めたい」、「演奏者は主役ではなく、曲の引き立て役」と熱く語る二人の姿は、まるでプロのようだった。