愛され続ける理由
今から62年前の昭和26年5月5日、オオワシ・エゾヒグマ・エゾシカの3種4点で開園した。オオワシは平成14年まで50年以上も動物園を見守り、世界最長の飼育記録を樹立した。アジアゾウ「花子」は昭和28年の来園以来、平成19年の死去まで人気者だった。年間入園者数は昭和49年の約125万人をピークに、平成17年度には約49万人と落ち込んでしまった。
この状況を克服するために、アイデアを出しながら計画的に施設設備の充実を図ってきた。平成22年にエゾヒグマ館、平成23年には虫類・両生類館、昨年12月に「わくわくアジアゾーン」を完成させた。冬期にも開園している円山動物園は、季節や天候にかかわらず楽しめるよう、屋内の観覧スペースに配慮している。
現在は約180種800点を飼育・展示し、環境教育にも力を入れている。この夏「夜の動物園」やホッキョクグマの双子の人気もあり、8月の入園者数が15万人を超えた。努力と工夫が、実を結びはじめている。
もともと性格的に物事に何でものっていくタイプで、まずやってみないと自分に合っているかとかは分からないからね。それで、何でもやってみようと思って動物飼育を担当しました。
夜の動物園のときには、お客さんが200人くらい集まってくれて。終わったあとの拍手喝采にとても感動しました。「俺、飼育員になろう!」と思ったんです。こんなに人を感動させられることができるんだと思ったのが一番のきっかけです。そのときは本当に自分の思う、アルバイトでできる範囲のことをすべてやって…、本当に楽しかったです。
一生懸命勉強して30歳で札幌市の職員になりましたが、すぐには動物園に空きがありませんでした。その2年後、まだ動物園で働いていたおじが異動した代わりに、自分が入れることになったのです。本当に偶然でした。
ただただ、不安しかなかったです。担当になった3月の時点でララもキャンディも交尾をした後だったから。それのせいか、毎晩、夢にホッキョクグマが出てきました。ホッキョクグマに追いかけられる夢とか、終わりなきキーパー通路をずっと走り続ける夢とかを見ました。不思議なことに、赤ちゃんが生まれた後は、ホッキョクグマと一緒にベッドで寝てる夢とか、二段ベッドの下の段に僕が、上の段にはデナリが寝ていて、デナリが寝相が悪くて上から落ちてきた瞬間に起きます(笑)。
手をかければかけただけ、動物が“生きて”くるんですよ。だから、僕が一番癒されるのが、デナリが遊んでいるときなんですよ。それを見ただけで、すべてが報われる。昨日も、閉園後に30分以上ずっと見ていました。
絶対に何歳になっても忘れちゃいけないと思うのは、向上心。これをなくした人はもうダメだと思う。一緒に仕事ができなくなる。僕も常に自分のスキルアップをするために、チャンスがあれば絶対それに食いついていく。
私たちを楽しませ驚かせる展示の数々は、たくさんの人たちの「熟考の積み重ね」や「失敗から得た経験」や「熱意と努力」が集まってできたものなんだと思いました。 |
スタートライン
陸上競技に出会ったのは小学生のとき。陸上クラブのチラシを見て、「走ることが好きだから自分もやってみよう」と思ったのがキッカケという。
心をつなぐバトン
チームプレイが重要なリレー。特にバトンパスは順位に関わる大事な場面である。「調子に合わせて、ミスしないように気をつけています」と息を合わせている。チームには先輩から引き継いでいる、本番直前の『青色バトン』を使ったパス練習がある。心をひとつにする大事なバトンだ。
男女の仲間
陸上競技部は男子部員も数多く活躍している。一緒に練習する男子には「お互いに高め合える仲間です」と感謝している。男女の声が合った大きな応援は、選手にとって大きな力になるという。
夢に向かって走る
「1・2年生の頃は先輩の力があったけど、3年生になって、自分がみんなを引っ張らなければと思って頑張りました」と話す姿に、リレーキャプテンとしての強い自覚を感じた。彼女の夢は『保育士』になること。「子どもたちと一緒にかけっこをして遊びたい」と笑顔で話してくれた。夢に向かって、まだまだ走り続けている。