17歳新聞 第10号
この17歳新聞は校内の特命編集部一同がつくりました。

新聞局員

編集長
第10号編集長 池田 くるみ
編集者
吉田 佳乃子 齊藤 愛莉 髙橋 麻莉
宇佐美 舞
発行責任者
局長 澤山 初音
顧問教諭代表 横山 学

新聞局員
被災した動物園・水族館への復旧のため、募金活動をする円山動物園に、「生徒会ボランティア基金」より支援金を送りました。

取材協力

札幌市円山動物園
札幌市円山動物園
www.city.sapporo.jp/zoo/

行事別レポート(高等学校)
17歳新聞 第10号
つながる命、つながる思い。
プロにおハナシ聞いちゃいます!おしえてシゴト人たち

愛され続ける理由

今から62年前の昭和26年5月5日、オオワシ・エゾヒグマ・エゾシカの3種4点で開園した。オオワシは平成14年まで50年以上も動物園を見守り、世界最長の飼育記録を樹立した。アジアゾウ「花子」は昭和28年の来園以来、平成19年の死去まで人気者だった。年間入園者数は昭和49年の約125万人をピークに、平成17年度には約49万人と落ち込んでしまった。

この状況を克服するために、アイデアを出しながら計画的に施設設備の充実を図ってきた。平成22年にエゾヒグマ館、平成23年には虫類・両生類館、昨年12月に「わくわくアジアゾーン」を完成させた。冬期にも開園している円山動物園は、季節や天候にかかわらず楽しめるよう、屋内の観覧スペースに配慮している。

現在は約180種800点を飼育・展示し、環境教育にも力を入れている。この夏「夜の動物園」やホッキョクグマの双子の人気もあり、8月の入園者数が15万人を超えた。努力と工夫が、実を結びはじめている。

おいでよ、動物園へ

園長 見上 雄一さん
園長さんの仕事内容を教えてください。
普段やっていることは大きく分けて3つです。ひとつめは、動物たちの様子などを自分なりに観察してまわること。ふたつ目は、園内に危険な場所(地面の穴など…)がないかの見回り。みっつ目はご意見箱以外での、直接のお客様の意見を聞くこと。その他には、イベント時の挨拶やマスコミ対応、内部関係での諸々です。
円山動物園の園長さんになったきっかけは?
札幌市役所からの辞令で、昨年の4月から園長になりました。以前の職場は交通局で、地下鉄関連などの仕事をしていました。動物園での仕事との共通点は、お客様をいかに増やすかを考えること。戸惑いなどはありませんでした。
円山動物園の動物から学んでほしいことは?
命の大切さです。動物園での繁殖や赤ちゃんの誕生、そういったことから親子の関係や家族の絆を学んでほしいと思っています。さらに、円山動物園の動物は絶滅危惧種が多いのですが、どうして絶滅の危機に瀕したのか、それは私たち人間の生活に大きく関わっているのです。節電など自分たちで身近にできること、自分だけではなくみんなでやることで大きな効果がでることの意味なども考えるきっかけになって欲しいですね。環境教育として自分たちにできることや地球に優しいことはどういうことかをわかりやすく伝えていきたいです。
今後どんな動物園にしていきたいですか?
24年度の年間来場者数が75万人。そのうちの7割が札幌市民で、その9割が道内の人。5%ぐらいの1割にも満たない人が道外の観光客の方。100万人を達成するためには、もっともっと観光客の方にも北海道は旭山動物園だけじゃなくて札幌にも動物園があるんだよとPRしてもっとたくさん来てほしいなと思います。何度も訪れたくなる動物園となりたいので、当然動物園の魅力も高めていきたいなと思います。ハード事業、ソフト事業の両面で良くしていきたいです。計画に基づいて昨年の12月新たに「わくわくアジアゾーン」ができました。2013年の11月には、アフリカゾーンを着工します。そのあとにホッキョクグマ・アザラシ館を新しく建設します。プールの下に人間が入って、下からホッキョクグマが泳いでいる様子を見ることができたり、魅せ方にもこだわる予定です。ソフト事業としては「ドキドキ体験」を充実させる。飼育員が動物の生態を解説することによって、子どもたちに伝えたいことも伝わりやすくなる。
お気に入りの場所は?
たくさんありますね。私も毎週土曜日に園内を案内するドキドキ体験「園長ガイド」をやっていて、気になっている動物も紹介します。今、フラミンゴのひなが2羽いて、とってもかわいいです。まだ足が短くて(笑)。
高校生にメッセージをお願いします。
自分の経験を話すと高校2年生のときに文理選択を迫られたときに、将来何になりたいか実はまだ決めていなく、「文理系」というものがあったのでそれを選択したんです。途中で変わってもいいから、自分が将来やりたいことを早いうちから持っていれば、それに向けて準備や努力もできるから、絶対良いと思います。

嫌われるけど価値がある

は虫類・両生類館飼育員 本田 直也さん
動物園に働くようになったきっかけを教えてください。
5歳ぐらいから、は虫類や両生類を飼育していました。札幌で、は虫類・両生類を世界中から輸入している人のことを小学校6年のときに新聞で見つけて、そこに書いてあった電話番号に電話して手伝わせて欲しいと頼み込んだのです。そのときから世界中のは虫類を飼育するようになりました。中学校のときにはブリーダーとして繁殖をやっていたので、直接自分の技術を社会的に生かせる場で働きたかった。それが動物園だったのです。天職のような自分のための仕事だと思っています。
一日の仕事の流れは?
は虫類・両生類の管理の仕事の特徴で他の仕事と明らかに違うのは、ルーティーンワークが全くないこと。実はこの動物園の3分の2以上の動物が、は虫類・両生類館にいます。は虫類・両生類はその日の状況によって何をするか決める。だからえさも毎日やらないし、掃除も毎日やらない、その時々によって状態を見ながら管理しています。
飼育で大変なことは?
デリケートな動物だから、そのときの状況によって、えさをやりすぎてもすぐに死んじゃうし、温度や湿度の変化を見て、目に見えないものをデザインしていく。目に見えないものとは、たとえば暖房や空気中の湿度、光や空気の流れなどの換気システム。そういった目に見えないような要素をコントロールしています。
それは自分なりに考えているのですか?
今まで得た技術や経験から。建築の専門家や設備の専門家など他分野の人とコラボすることで環境を作り上げています。ここの施設は建築環境学という分野の専門家の人と作っていて、主に熱や光、人間が程よい環境でどう暮らしていけばよいか建物の意匠ではなく設備の研究をしています。耐えなければならない環境で飼育されている現状をなくすためには目に見えない要素をいかにうまく整えていくか。人間の心地よさと動物の心地よさは違う。人間は強いから耐えられることも両生類や爬虫類は弱いからより細かい条件を作っていく。ここには45個の展示場があるから45個の環境があるのです。

は虫類・両生類の繁殖方法は?
基本的にそれぞれの生息地において、季節の変動を体感することで発情するから、それをリアルに再現してあげること。温帯の動物には季節に合わせて照射時間を変え、冬眠をさせる。亜熱帯の動物には水温を上げ下げしたり、乾燥帯には昼夜の温度差、熱帯雨林に生息するトカゲには雨季と乾季をつくってあげる。この施設はタイマーで自動的に雨を降らせたり、目には見えない動きを管理することができます。
は虫類・両生類の魅力は?
形態的に一番変わっていて美しい。は虫類・両生類ほど多彩な色をもった動物はいない。あと、見た目も美しいけど本質的にもきれい。は虫類・両生類は毛がないでしょ。毛がある動物って汚いじゃん。爬虫類や例えば蛇なんかは体に雑菌すらない。すごい清潔な皮膚をもっている。ゼロではないが、人間の手のほうがよっぽど汚い。心身ともにきれいなんだよね。
魅力的に見せる展示方法は?
展示はやっぱり美しい展示を作り上げる。は虫類・両生類が持っている美しさをそのまま見せるっていうのはつまり自然の切り抜きなんだよね、やっぱり自然界で暮らしている状態が一番美しい。だから、うちの場合も景観をきちんと整えるし、光の質も整えるし、そういったことで、は虫類・両生類が一番美しい状態をキープできています。
飼育のためには情報量が多くて大変ですね?
情報は大事。自分でできる経験はたいした量じゃないから、情報を得て他人の経験からも学んでいかないといけない。経験と情報が重なって初めて「技術」になる。飼育年数の問題でもなくて、は虫類・両生類は間違った飼い方をするとすぐに死ぬから、いかに短い期間で質のいい経験や情報を収集できるかが大事。飼育の理想は自然界より長生きしないといけない。動物園の動物のほとんどは長生きするけれど、飼育下において野生より寿命が極端に短いのは、は虫類・両生類。でも、ワニは強いからすぐ死なない。血液に雑菌を寄せ付けない成分があるからね。

動物園としての役割は?
動物園はどうしてもかわいい動物のイメージですが、それだったらワンニャンペット園でもいいんですよ。動物園というのはいろんな環境との関わりあいの中でそれぞれの役割をきっちり伝えていく場。動物にはほ乳類もいればは虫類もいるし鳥類もいる。生態系そのものはたくさんの動物が含まれている。生態系で一番種類が多くて支えているのが節足動物。動物園というのはすべてのものに関してきっちり伝える義務がある。俺はそういうものに特化して、気持ち悪いものとか嫌われているものとかみんなが見ようとしないものの魅力や大切さをみんなに伝えていくという明確な立場を持って仕事をしている。だからかわいい動物には悪口ばっかり言う(笑)
は虫類、両生類から伝えたいことは?
生態系の80パーセント支えているのは、は虫類・両生類。彼らがいないと俺ら(ほ乳類)は存在すらできない。大事な動物なのになぜか嫌われている。好きになれとは言わないけど、彼らは大事な存在だということを伝えていきたい。そしてそれをどういった手法で伝えていくかを考えるのが動物園。かわいい動物はそんなことを考えなくても、向こうから求めてくるけど、こういう動物はあえてしっかり伝えないと伝わらない。蛇のことを何もわかっていないのに嫌がる人がいるけど、実際に見て触って知ってもらえば9割方蛇に対する印象が変わり、今までの「先入観」がなくなる。
鷹匠になったきっかけは?
動物園に入って1年ぐらいのときに動物園の研究報告を読んでいたら、鷹匠の技術を使って猛禽類を野生に返したという論文を書かれていて、はじめて自分たちがやっていたことが間違いだと気付いたのです。怪我をした猛禽類が動物園へ運ばれてきて、治療を終えた時点で野生へ返していたのだけど、猛禽類は野生ではアスリートだから一番いい状態にいないと狩りすらできずに死んでしまう。治療してすぐに野生に返すことは人間でいうと病み上がりの人をフルマラソンに出すようなもの。そこで何が必要かというとリハビリ。獲物をとれるような状態にして放してあげないと意味がない。それをやるにはどうしたらいいかというと、鷹匠の技術しかない。だから、これは動物園として持ってないといけないかなと思って始めました。
高校生は何をやるべきですか?
若い人はいろんな世代の人と話せない人やコミュニケーション能力が低い人が多いと感じる。それは凄く損です。何をやるにもどこの分野に進むにも、まず、いろんな世代の人とコミュニケーションが取れる能力があればいいと思うし、そういう人を社会は欲していると思う。動物園も動物に詳しいだけのマニアに来てほしいかと言われればそうではなくて、それ以前にコミュニケーションが取れる前提がないと社会に関わっていくには難しいかもしれない。意識的に鍛える必要はないと思うが、いろんな世代とかかわる機会があればいいと思います。

愛情は深く、向上心は高く

世界の熊館飼育員 清水 道晃さん
高校時代のことを教えてください。
高2のときに学校を中退しました。その後1年間働いたけど、高校は卒業したいと思い、通信制の高校に行き、20歳で卒業したんですよ。そのときは本当にやることがなく、そんなときに、たまたま動物園でのアルバイトに誘われて。最初は園内の除雪とかを半年ほどやって、半年後に飼育もやってみないかということで初めてこども動物園に。まだその時はそれほど動物に興味はありませんでした。
飼育員になろうと思ったきっかけは?
子どもの頃は飼育員になりたかったんです。おじが円山動物園でチンパンジーの飼育員をやっていて、そのときはおじさんがスーパースターのように見えて、飼育員に俺もなるって言ってました。でも、いつの間にか何をやりたいのか分からなくなって…

もともと性格的に物事に何でものっていくタイプで、まずやってみないと自分に合っているかとかは分からないからね。それで、何でもやってみようと思って動物飼育を担当しました。
その当時はどうでしたか?
当時来園者数がすごく落ちていて、園長さんを中心に動物園を盛り上げようというムードが高まっていました。それまでは、アルバイトは余計なことはするなという感じだったけど、そこからは職員もバイトも自分のやりたいことを考え付いたらまず持ってこいと園長さんに言われました。それでもう、みんな楽しくなっちゃって。やっぱりそれで僕も、モモンガの「タロウ」の滑空訓練のときに、せっかく訓練しているんだから、普段どういうことをやっているのかお客さんに説明して、また身近にいる動物だということも伝えたいということを企画しました。

夜の動物園のときには、お客さんが200人くらい集まってくれて。終わったあとの拍手喝采にとても感動しました。「俺、飼育員になろう!」と思ったんです。こんなに人を感動させられることができるんだと思ったのが一番のきっかけです。そのときは本当に自分の思う、アルバイトでできる範囲のことをすべてやって…、本当に楽しかったです。

一生懸命勉強して30歳で札幌市の職員になりましたが、すぐには動物園に空きがありませんでした。その2年後、まだ動物園で働いていたおじが異動した代わりに、自分が入れることになったのです。本当に偶然でした。
ホッキョクグマの担当には希望して入ったのですか?
まさか担当になるとは思ってなかったです。職員となって、はじめはエランドを担当して、それからホッキョクグマになったときは複雑な気持ちはありましたね。動物園で推している人気動物ですし、注目度もやっぱり今までと違うのでそれなりに覚悟はありました。

ただただ、不安しかなかったです。担当になった3月の時点でララもキャンディも交尾をした後だったから。それのせいか、毎晩、夢にホッキョクグマが出てきました。ホッキョクグマに追いかけられる夢とか、終わりなきキーパー通路をずっと走り続ける夢とかを見ました。不思議なことに、赤ちゃんが生まれた後は、ホッキョクグマと一緒にベッドで寝てる夢とか、二段ベッドの下の段に僕が、上の段にはデナリが寝ていて、デナリが寝相が悪くて上から落ちてきた瞬間に起きます(笑)。
ブログなど、今はとても忙しいですね。
双子が生まれて、ホッキョクグマが特に注目が集まっているからね。でも、今僕たちが(動物園の魅力を)働きかけていかないと、せっかく来てくれてたお客さんも、双子がいなくなったら来てくれなくなったら困るじゃないですか。だから、来てもらったときにがっちり心をつかめるように。来るきっかけになるように、ブログも書いてます。
忙しい中での、清水さんの元気の源は?
動物に見返りを求めているとかでなく…やればやっただけ、動物が良い状態になる。

手をかければかけただけ、動物が“生きて”くるんですよ。だから、僕が一番癒されるのが、デナリが遊んでいるときなんですよ。それを見ただけで、すべてが報われる。昨日も、閉園後に30分以上ずっと見ていました。
高校生は何をやるべきですか?
何でもチャレンジするべき。まずやってみないと。考えすぎても動けなくなるし、「自分のタイプにはこういうことは向いていない」とか思っていると、一生できないんだよね。やっぱり考え方ひとつで自分の行動も変わってくるし、行動が変われば、それが習慣になって、そして自分が成長していって…。

絶対に何歳になっても忘れちゃいけないと思うのは、向上心。これをなくした人はもうダメだと思う。一緒に仕事ができなくなる。僕も常に自分のスキルアップをするために、チャンスがあれば絶対それに食いついていく。
これからの目標は?
ホッキョクグマで、「世界の円山」だね。“ホッキョクグマのことなら円山に聞け!”と、世界各国の動物園から問い合わせがくるような。みんな、もっと札幌のことを自慢してもいいと思う。世界で見ても、うちのララとかは本当に指折り数えるくらいの偉大なお母さんです。これまでの出産回数とか含めて、ベスト3に入ります。

僕がひとつだけ札幌市の面接を受けるときに言ったことが、「(どうして札幌市の職員になりたいかと聞かれて、)動物園に入って、札幌市の自慢として『円山動物園、すばらしい!』といってもらえるような動物園にしたい。市民に愛される動物園に」でした。今も変わらない目標です。

編集後記

私たちを楽しませ驚かせる展示の数々は、たくさんの人たちの「熟考の積み重ね」や「失敗から得た経験」や「熱意と努力」が集まってできたものなんだと思いました。
取材後に、私は改めて円山動物園に行きました。今までとは変わった目線で楽しむことができました。動物園には、役割を伝える責任感や魅力的に見せる工夫など、たくさんの発見があります。たくさんの人たちが円山動物園へ行ってほしいです。新聞紙面やWEB版を読んでから行くと、ちょっと違った楽しさも味わえるかなと思います。ぜひお読みください。
最後になりましたが、今回取材に協力してくださった園長の見上さん、飼育員の本田さん、清水さん、遅くまで園内を案内してくださった経営管理課の伊藤さん、ありがとうございました。

せんせいずかん

ニシダナツキ

ブインタビュー

小泉優奈

スタートライン

陸上競技に出会ったのは小学生のとき。陸上クラブのチラシを見て、「走ることが好きだから自分もやってみよう」と思ったのがキッカケという。

心をつなぐバトン

チームプレイが重要なリレー。特にバトンパスは順位に関わる大事な場面である。「調子に合わせて、ミスしないように気をつけています」と息を合わせている。チームには先輩から引き継いでいる、本番直前の『青色バトン』を使ったパス練習がある。心をひとつにする大事なバトンだ。

男女の仲間

陸上競技部は男子部員も数多く活躍している。一緒に練習する男子には「お互いに高め合える仲間です」と感謝している。男女の声が合った大きな応援は、選手にとって大きな力になるという。

夢に向かって走る

「1・2年生の頃は先輩の力があったけど、3年生になって、自分がみんなを引っ張らなければと思って頑張りました」と話す姿に、リレーキャプテンとしての強い自覚を感じた。彼女の夢は『保育士』になること。「子どもたちと一緒にかけっこをして遊びたい」と笑顔で話してくれた。夢に向かって、まだまだ走り続けている。