17歳新聞
この17歳新聞は新聞局がつくりました。

第6号編集委員

責任者    
第6号編集長 澤山 初音
顧問教諭代表 横山 学
編集者    
川鰭 遥 遊佐 あさひ 山形 生
編集協力    
3年新聞局員
ロゴ制作    
遊佐 あさひ    

取材協力

モリエール モリエール
www.sapporo-moliere.com

行事別レポート(高等学校)
高校生は“器”をつくれ
プロにおハナシ聞いちゃいます!おしえてシゴト人 モリエールオーナーシェフ 中道博さん

この春発売された「ミシュランガイド北海道」で三ツ星を獲得したモリエールのオーナーシェフ。ほかに4つのフレンチレストランを手掛ける。2008年の洞爺湖サミットでは、各国の首脳に料理を提供。2011年には農林水産省の顕彰である「料理マスターズ」に認定される。仕事に対する厳しさと優しい人柄で、スタッフからとても尊敬されている。開店当初から人気のじゃがいものグラタンは中道さんのオススメ。

料理人を志したキッカケは?
高校2年生のときにNHKスペシャルで法隆寺の大改修のことをやっていて、宮大工の棟梁ある西岡常一さん(1908~1995)の仕事に感銘を受けたことがキッカケだね。西岡さんは建物を改修するとき、飛鳥時代に建立した大工の跡と江戸時代に改修した大工の跡を見て、飛鳥時代の大工がどれだけまじめに仕事をやっていたかがわかり、逆に江戸時代の大工はササッとした作業で丁寧さに欠ける仕事であったのがわかった。自分が改修して何十年何百年あとにある改修のときに「昭和の大工はすばらしい仕事をしたなって言われたい」という話を聞いたことですね。

建築物の建立や改修後には、棟梁の「サイン」を書き残すことが一般的であるけれども、飛鳥時代の大工のサインは残されていないので、誰がやったのかはわからないそう。ということは、褒められることもないってこと。飛鳥時代の大工がサインをしなかったのは「奉仕の心があったのはないか」と西岡さんは言っていました。「宮大工っていうのは褒められない仕事なんだ」ということをテレビで見て、それってすばらしいなって思い、室蘭の高校で受験勉強をしていた僕は、このとき「職人になりたい」と思ったんだ。褒められない仕事をやりたい、「努力しても褒められない」ってね。死んでから何百年もたった後に、「これをやったヤツは真面目によくやったんだな」って思われるような仕事をやりたいと思い『職人』になろうと思った。僕は宮大工みたいに器用ではないから、職人と言えば料理人があるなと思ったことかな。もう一つに「世界中いろいろと観てみたい」と思っていて、フランス料理をやったらフランスに行けるかなと思ったのが高校2年生でした。
どんな高校生でしたか?
普通の高校生。早いうちにそういうテレビを見て、受験勉強はやめようと思ったし、だから、みんなとリズムが違うもんで、室蘭の砂浜でろくでもないヤツらと座って「今日どうやって時間過ごす?」なんて言っていた。
志す前から料理は得意だったのですか?
いや、全然だよ。料理なんて何もやったことない。もともと金沢出身で父親は金箔や銀箔をのばす仕事をする職人。僕はそれを見ていて正直イヤでした。親は息子にはサラリーマンになることを望んでいた。「役所に入って毎月ちゃんと給料が出て、辞めなくても済むような仕事に就きなさい」ってね。
なぜ、フランス料理を?
世界で英語が通じるように、料理の世界で言えば「フランス料理が公用語」。つまり、フランス料理ができたらどんな料理もできるって言われてるんだ。だからフランス料理にしたんだよ。
料理人という仕事をしていなかったら、何をしていたと思いますか?
難しい質問だね。していなかったら…、生きるために、何かをしていたのではないかな。仕事って言うのは「業」とかいて「なりわい」って読むんだけど、大事なことは「なりわい」なわけ。どういうことかっていうと、僕らは仕事をしてお金をいただいて生活するっていうのが生きていくための基本の原理なの。だから誰でも仕事をしないとダメ。それが結果として、テレビがきっかけで、たまたま「料理人」をやっているかな。当時、僕はブルースが好きだったんだけど、もしかしたら、もう少しギターがうまくて、たまたまテレビで何かやっていたら、サンフランシスコに行ってそんな仕事をしていたのかもしれない。ガチガチにかしこまって、ちいさい頃から、仕事を選ぶことはない。高校2年生も含めてだよ。まずは「価値観の器」を作ることかな。
「価値観の器」っていうのは?
おみそ汁を飲むときお椀がいるよね、たとえばお椀が「紙」でできていて穴が開いていたらどうなる?ピヤ~って流れるよね。おみそ汁を作っても、次に入れるお椀を作らない限り、次の自分の仕事とか「なりわい」だとか人生はできない。とにかく器をつくること。じゃあ、器を作るためにどうするかって言うと、いろんなことを勉強すること。今は勉強なんかイヤだと思うかもしれないけど、やりたくないこともやりたいこともやって、見識を広めて「世の中にはこういう人もいるんだ、こういうこともあるんだ」ということを丸受けして、自分にとっての好みを決めて、ひとつの「自分の基準」をつくること。そうすると、隣の人が「赤がいい」と言っても自分は「青がいい」としっかり言える。

今だったら、そういうのがないと、ほかの人の責任にするじゃない。たとえばテニスをやっていたとすると「雨だから調子が悪い」といってしまうわけよ。でも『本当のテニス』をするとしたら、天気の善し悪し関係なく「天気を楽しみ、雨のときのテニスもおもしろい」となっていかないと。それには『器』みたいなのが必要で。今の時代はインターネットでいろんな情報を探れるけど、(自分の基準、自分の器がないと)選べないよ。人の言ったことをただ受けるだけではまるで「人形」だよ。「あいつはこう言うけどオレはこういう好みだ」ということ。
料理をするにあたって、日々心がけていることは?
あるよ。それはお客さんを喜ばせること。できれば涙を流すぐらい喜ばせたい。できれば1年たってもその日のことをしゃべるような喜びを与えたい。ホントに。僕60歳で、仕事はじめて40年。毎日ずっと思っている。だから満足したことは一つもない。
新しいメニューは中道さんが考えてお弟子さんたちが作っているものですか?
それはいろいろだな。最初の頃は全部自分。学んだことを元にして、自分で料理を考えていく。でも40年やっているから、だんだん一緒にいる人が長くなっていくと、みんなの意見を取り入れてやっているよ。何を意識してメニューを決めているかというと、「お客さんがいかに喜んでもらえるか」だね。お客さんが何をしたら喜ぶかっていうのは、例えば「季節感」。今は秋だよね。ここに座って料理を見ると、「あぁ、秋だな~」って思ってくれるか。また、お祝いで料理を食べたときに「今日は誕生日だったんだ、あ~、生きてきてよかったな、明日もがんばろう」。そんなことを考えながらメニューをどんどん考えていくね。


食感にもびっくり!甘くておいしいナスと洋なしのデザート


居心地の良い季節感のある店内


「盛りつけ」には、何かイメージがあるのですか?
盛りつけは自然とできるんだよ。たとえば、みんなが作っている「17歳新聞」のロゴに「色」があるよね。9月号は「いちょうの葉っぱ」だね。黄色い葉とちょっと焼けたような色の葉で描いてるよね。まったくその通りで、9月は秋で、きっとこのロゴを描いた人は「秋って何だろう?」って思うと、イメージはイチョウで銀杏が落ちてきて、葉っぱは黄色になる。これって「セオリー」なんだよね。決してそれに金箔を盛ろうとは思わない。それは強いベースとして「季節の色や形」がある。料理にもあるんだよ。それがセオリー、つまり「あたりまえ」だね。この「あたりまえ」にたどり着くまでに、だいたい10年から20年かかるかな。「あたりまえ」と思う価値観がわかるためには10年は絶対働いていないと無理だね。そしてそこからの10年、20年はどうなるかというと、この要素がどんどん広がり、自然とできる。

イチョウで言うならば、葉っぱが2枚あるけど、葉っぱは1枚になり、葉の軸が残り、葉先になり、そして風になるかもしれない。そうなると、見る人は風がヒューッとなっているのを見ると、イメージでイチョウに木から葉っぱが落ちる…、そこに黄色があるとイメージがもっと広がる。そういうもんで、やってれば自然にできる。

盛りつけはイメージしなくても勝手にできる。わかる?要するに、きれいに盛ろうと思ってもダメ。普通に盛ってもきれいになる。問題は「何がきれいと思うか」。かぼちゃがテーブルにこんなふうに置いているけど、このかぼちゃが「あ~きれいだな」と思うかどうか。たとえばこのかぼちゃを「磨く人」もいれば、わざと「泥をつける人」もいたり、「おがくずを入れる人」もいる。いろいろいるさ。それが美意識っていうものさ。
料理の色合いで、気をつけていることはありますか?
それは「自然であること」。色を作ってはいけない。僕は美瑛でも仕事しているんだけど、「赤麦」っていう麦があって、赤茶っぽい色だけど、前田真三っていう写真家が撮ると、真っ赤に写るわけ。何でかと思っていると、夕焼けの時に赤い光が当たったときに、赤茶けた色が真っ赤になる。 わかる?自然の中に「きれいさ」はたくさん潜んでいる。昼間の光で見た方がいいのか夜見た方がいいのか、明るい光を当てた方がいいのかろうそくの光がいいのか。同じものでも見え方が違う。見え方が違うのがわかるから、料理やっているときにイメージがある。「自分のきれいさ」なんだ。「きれいさ」が黄金のような料理だなって思うとそうなる。
どうして「モリエール」という名前にしたのですか?
これは簡単。今の住所は宮ヶ丘であるが、昔ここは宮の森という町の名で、森がつくでしょ。フランスで有名なモリエールっていう人もいるでしょ。森とその人の名前の語呂合わせだよ。ところがさ、店の名前の由来を聞かれても、みんなモリエールって知らないでしょ。だから「公園を見てくださいよ、森が見えるでしょ。森がみえ~る、モリエール」と今は言っている。名前なんてそんなもんだよ。なんだぁ、でしょ?
ミシュランの三つ星を獲得して、自分の中やお店の中で変わったことはありますか?
それは変わったよ。どう表現したらいいかな…。まずは、ミシュランというのは僕にとっての教科書。人生の教科書。すべてといってもいいガイドブック。23歳でミシュラン片手にフランスに行き、載っている店に働かせてほしいと手紙を出して…、思い出深いもの。そして、三ツ星ってのは最高峰なわけ。うちの店がそれにふさわしいかは僕には分からない。自分ではふさわしくないと思っている。選んでくれたのはうれしいのだけど、「うれしいのは10%くらい、90%はえらいことになっちゃったな」って思ってるよ。三ツ星にふさわしい仕事をしているのだろうか?っていうのが最初に思ったこと。だからそれ以来仕事には厳しい。もともと厳しいけどもっと厳しくしないとならない。褒められることはうれしいけど、自分の中の責任がものすごくでっかい。最初3ヶ月くらいは夜も寝られず朝早く起きてしまう。早くに店にも来てしまった。だから、全然楽しくなかったよ。
高校時代は「自分の器」をつくる時期ですね。・
そうだね、そのためには部活をするとかもそうだね。みんな今、こんなふうにインタビューしているけど、がんばってインタビューするとかもそう。その後の編集では、ただチャチャって終わらせるんでなくて一生懸命まとめる。討議しあって話し合って真摯に向き合うこと。僕の高校時代は授業だって大した勉強をしないでボーっと聞いていたんだと思う。今考えたらとってももったいないことをしていたと思う。せっかく授業を受けるんだったら、一生懸命受けてできる範囲内でいいから予習復習する。これが無駄になるんでないかって言われら、無駄になってもいい。無駄をたくさんしたほうがその人の『器』ができる。

僕には今22歳になる息子がいるけど、当時の僕と同じように料理人をめざす環境にいるんだけど、勉強そんなに好きじゃないみたいだから、「部活は卒業までちゃんとしろ」って言ってた。そしたら大学受験できないからね(笑)。彼が高2のときに、僕が「いいな」って思っていたCIA(The Culinary Institute Of America)という料理の学校がニューヨークの郊外にあって、「おまえはそこに行け」って言ったら「はーい」なんか言っちゃって。勉強しなくていいからせいせいしたのかな(笑)。ギター好きでギタリストになりたいって言ってたけど、ギター弾けたからギタリストになれるわけではなく、どういう感性を持っているかだよ。さっきの『器』だね。同じものみても、きれいさが違う。その「きれいさ」がちゃんと分かるような自分の資質をつくらないと、速くギターが弾けたからといってダメなんだ。

高3の夏になると、部活の大会も終わり暇になるから英語の勉強してさ、「偏差値で大学行くなら行くな」と言った。CIAはTOEFL(Test of English as a Foreign Language)で80点をとらないと入れなく、最初は22点。でも、1年半勉強して入学した。だから、人って頑張ればできるんだよ。1日16時間ぐらい死ぬほど勉強していた。そして2年でその学校を卒業し、その後もまだ勉強するといってスイスのローザンヌのホテル学校に行くと言って、ハードル高くして今も勉強しているよ。
職に就くには、なんかきっけかがあるんだよ。なんか「引っかかるもの」を待っていたらいいんだよ。そのためには広く興味を持っていたほうがいいのではないかな。
高校生にアドバイスをお願いします。
点数を取るための勉強ばっかりではダメ。もったいないよ、時間は戻らないよ。できれば高校時代に戻りたいよ。だから、時間は大事にしてほしい。
今は高校生だから定期試験や入試などそれに向かって頑張るでしょ。たとえば大会があれば、それに向かってやるでしょ。ところが大人になったら、そういう試合とかがないのさ。じゃあ、何を目標にするかというと、毎日の積み重ねなんだ。誰も自分を選ばないし、そういうところには向かわない。目標設定値がないの。ではどこにあるかっていうと,自分の中にしかない。

会社には組織があるよね。今ここにグラスがある。この上に蛇口があって、そこから水がぽとぽと落ちてくる。人が一生懸命働いていると、この落ちてくる水は「才能や努力」などといったいろんないいもの。水がいっぱいになるとグラスから溢れてしまう。それがもったいないから「受け皿」を用意する。その受け皿が組織の最初であるんだ。その受け皿にも水がいっぱいになると、もう一皿。それ(組織)がだんだん大きくなると、形だけを作る人がいっぱいになる。問題はぽとぽと落ちる才能などがあるのか?ってこと。受け皿の形を作っているだけではないのか?グラスは『器』。つまり『自分』。水は自分の才能など。形だけをつくってやるのではなく、溢れ出るのなら受け皿(組織)を用意しなさい。若いあなた方は、この水はどんどん流れあふれ出る。働けるし動ける。僕らみたいになると、すかすかになり水はぽとぽと。歳を取ってもぽとぽとでも落ちるように努力することが大事なんだ。だから、55~60歳のときには、たくさんの今までやったことないこともやった。イヤなことだって。そうすると、再びいろんなことが沸いて出るようになった。だから、さっきの「メニューはどうやって考えるのか」なんてのも「自然に出ます」ってことなんだ。前は自然と出てこなかった。蛇口と一緒で、そのときは「出さないと出てこなかった」が、今は湧き水のように出てくる。そしてお客さんに喜んでもらえる。でもあと2年たったら、スカスカになるかもしれないから、今、努力している。この先のために。そんなことなんだよ。

うちの子どもに勉強させようと思ったのは、そいういことを学問として学んで料理してほしいと思ったから。僕らはそういうことを感覚で覚えている。汗水流して悩んでやってきて。だから、あなた方は若い世代であって次の時代なんだから、もっと勉強して知識をつけて学問として入れながら汗水流していけば、僕らよりももっと良くなる。そうやらないとすばらしい人生なんかは送れないと思うよ。

コックさんの話をすると、フランスですごく優秀な人はみんな20代~30代前半。若い人は頭が良くとらえ方がすごく上手で料理もすばらしい。ぼくにはできない。だから、自分の年代でできることを目指している。人はものすごい進化している。僕の時代は生活も貧しかったから、汗水流してやって技術力を上げていった。でも今はすごい優秀な人とそういう所に気がつかない人がいる。その差がすごく感じる。優秀な人っていうのは、特殊かというとそうではなく「気がつける人」だと思う。真面目なんだけど遊ぶこともできる。僕らはほかものも切り捨て24時間やっていた。若いうちから興味を持って好きなものを仕事のほかにも持っていくことで感性が膨らむんだよ。だから若いみんなには、勉強以外にもスポーツでも美術でも音楽でも何でもいいから。だから自分で「すばらしい人生だったな」って思える毎日を積み重ねてほしい。目標設定値は自分の中にある。だから自分の価値観が大事。小さくていいから、最初から大きいわけでないんだから、しっかりとした『器』を作っていく。歳を重ねるごとに、自分の『器』が少しずつ少しずつ大きくなっていけばいい。
これからの目標はなんですか?
料理を通して人の役に立ちたい。「想い出レストラン」っていうのを作りたいと思っている。人を喜ばせたいって話をしたよね。1年後も語りぐさのように食べた話をする…言ったよね。

お年寄りを招いてね。歳を取ったら、あんまりこういうもの(フランス料理)を食べる機会がないでしょ。お漬け物や納豆とごはんぐらいしかおいしいなって思わなくても、フランス料理を食べてシャンパンでも飲んで、こざっぱりとした格好をさせてさ、お婆ちゃんが僕の料理を食べて「フランス料理って、大したうまいもんじゃないな」って言いながら食べるシーンをやりたいね。そのお婆ちゃんが家に帰って家族でしゃべって、「大したもんじゃないな」とか「なかなかいもんだね」なんて言ってくれてさ、1年たっても、5年たっても、もしかしたら死ぬまで、「料理を食べた思い出がずっと生きてくれるんじゃないかな」って、そういうレストランができたらいいなって。だから「想い出レストラン」って言っているわけ。それをボランティアでやりたい。だって、このような料理って結構高いじゃん。収入があるときは食べれるけど、なくなったら食べれないわけだから、誰かの役に立って、食べてもらって話のネタになりたいなっていうのが夢かな。やりますよ。

もう一つは寺子屋みたいのをやること。料理人の勉強の場。料理人は一生懸命やっているけど、教育が足りないんだ。そういう教育施設ができればいい。それをやると就職がいいとか偉くなれるとかではない。「人に喜んでもらいたいなって思う料理人がたくさん現れたらいいな」って思っている。2015年、美瑛に誕生させます。「2015年小麦畑の中で…」薪釜でパンを焼いて、料理はプロバンス地方の家庭料理をやれたらいいな。興味のある人は是非来てください。

僕は以前、ある道南の小学校で課外授業をしたことがあるんだ。「隣の人と競争するのではなくて、もっと広くものを見てもっと違いで判断するべき」という話をして、子どもたちの話を聞いているうちに、食についていかに貧しい環境にあるかが分かり、モエレの店に招いてフランス料理を振る舞ったことがある。僕はそのとき「先生の醍醐味」っていうのも感じたよ。みんなも、是非、僕の料理を食べてみてよ。
編集後記

とてもお忙しい中、私たち高校生の質問に真摯に答えてくださり、料理までふるまってくれた中道さんとシェフの今さん、そしてお店のスタッフのみなさんの優しさに心から感動しました。料理の一つ一つからも私たちのことを考えてくださっているのが伝わり、「お客さんを喜ばせたい」という思いを感じました。特に、ナスのデザートはおいしさだけではなく楽しさと驚きがありました。スタッフの方々のお話をお聞きして、「何をするにも一人ではできない、チームワークが大切」ということも学びました。本当に貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

せんせいずかん

エビコユウヒコ

ブインタビュー

栗原加奈子

たくさんの支えに感謝

卓球を始めたのは小2のとき。体が弱かったので体力をつけるためだったそう。中1から大谷の卓球部に所属。6年間つらいこともあったが、自分のために泣いてくれる、怒ってくれる、喜んでくれる仲間と指導者の方々の中で過ごすことを通して、支えてくれている人に感謝することの大切さを一番学んだという。

卓球が好き

10年以上も続けてくることができたのは、「卓球が好き」という気持ちがあったから。元気の源は「食べること」。特に「米」。いやなことがあっても、食べて忘れているそう。

一本の重み

これまでに何度も全国大会に出場する中で、「勝つためには技術だけではなく、最後の一本をとれる『人間力』が必要」と感じるそう。

力強い目標

いくつかの質問に笑顔で答えてくれた栗原さん。これからの目標は、「大学でも卓球を続け、全日本学生大会で優勝すること。そして、団体戦ではレギュラーとしてチームに貢献すること」と力強かった。目標を常に心にとどめており、それが彼女の活躍につながっているのだと感じた。