17歳新聞
この17歳新聞は新聞局がつくりました。

第8号編集委員

責任者    
第8号編集長 澤山 初音
顧問教諭代表 横山 学
編集者    
山形 生
藤島紗都子
川鰭 遥 齊藤 愛莉
特別記者
鈴木 愛佳
ロゴ制作    
齊藤 愛莉    
行事別レポート(高等学校)
被災地からあなたに
3月23日と24日の2日間、私たちは大村正樹さんの主催する「被災地を忘れない・・・取材ツアー」に参加させていただいた。気仙沼市、南三陸町、石巻市など宮城県の被災地を訪問し、現地の方々の話を聞き、津波で壊滅的な被害を受けた集落などで保存されている遺構を見学した。
大村 正樹さん
「被災地を忘れない・・・取材ツアー」

8号ができました。

取材準備から新聞発行まで「伝えることの大切さ」を心におき、写真やことばを工夫しながら制作しました。ぜひ読んでみてください。

17歳新聞第8号
17歳新聞第8号pdfダウンロード
「17歳新聞第8号」を発刊し、あわせてパネル展示『被災地の今』を5月6日の札幌大谷吹奏楽局スプリングコンサートと6月15・16日の札幌市地下歩道空間「チ・カ・ホ」にて開催しました。取材ツアーで持ち帰った「被災地からいただいた大切なもの」がわたしたちの発信により、みなさんの心に届けばなによりの喜びです。
パネル展01
パネル展02
高校3年生 藤島 紗都子
「“忘れない”ことが、それだけで復興です」そう教えてくれたのは、バスのガイドさんでした。このツアーで私はたくさんの人に出会いました。誰一人、下を向いてはいませんでした。震災を忘れないでください。復興はまだ進んではいません。今なお苦しんでいる人がたくさんいます。そして伝えてください。地震の翌日から立ち上がった人たちがいることを。自分にできることを今も続けている人たちが、震災を伝え続けている人たちがいることを。
高校3年生 山形 生
今回の取材ツアーでは、震災の遺構を見学し現地の人々の話を聞かせていただきました。そこで新たに知ったのは、何よりも現地の人々の思いでした。被災地の方々は、大きな被害を受けているにもかかわらず、元気があり、僕たちにも当時の状況や現在の生活の様子など、多くの話をしてくださいました。町全体が壊滅状態になったような場所でも、そこにいる人たちは活気に満ちていました。一番大切なことについて、被災地の方々は「語り継ぐことが大事。何よりも大事」とおっしゃっていました。そして、これが今回の取材で一番印象に残ったことでした。僕たちが今回の取材で一番多くを学んだこと、それは「記憶を後世に伝えること」に他なりません。
高校2年生 齊藤 愛莉
正直、被災地に着いたときには被災地に来たという実感がありませんでした。なぜなら、ある程度は瓦礫は片付けられ、徐々に元に戻って復興していると思ったからです。しかし実際は違いました。被災地に住んでいる方々が毎日毎日を懸命に生きている様子を見たり聞いたりしているうちに「これが現実なんだ」と感じるようになり、被災地に来たという実感がようやく持てました。仮設住宅に住むお爺さんは厚着でした。ストーブは使えないので暖房はエアコン。電気代が高く、そうでもしないと寒さがしのげないそうです。今回の取材で、支援は直接的だけではなく間接的に助けることもできると初めて知りました。2年経った今では、間接的に助ける方が被災された方々の為になるのです。私はテレビなどのマスコミが伝えていないことを知ることを課題にしました。いっぱい知った分、ショックなこともありました。もう2年も経ちますが、復興はまだまだこれからです。私たちみんなができることは小さくてもあります。私はいろいろな人に今回のことを話します。私ができる最善の策です。今回被災地ツアーに参加して本当によかったです。自分や知り合い、被災地の方々のためになったと思います。ありがとうございました。
高校3年生 川鰭 遥
わたしは、被災地の復興のために『具体的に何ができるのか』を学びたい、そしてそれをできるだけ多くの人に伝えたいと思ってこのツアーに参加しました。衝撃だったものはたくさんありますが、あえて1つ挙げるなら、第18共徳丸が陸上にある様子が忘れられません。船の下にはつぶされた自動車がありました。この船を後世のために保存しようという動きと、現地の心境を考えると解体するべきという意見で未だ議論しているようです。わたしは解体でいいと思います。未来の東北のためにできることをしっかりやろうと思います。今回津波のあとをはっきり見て、自然の大きさと人間の力の小ささを感じました。でもその被害を乗り越えて「これからも強く生きよう」と決意したみなさんの目に、力強い光が見えました。
高校3年生(特別記者) 鈴木 愛佳
私は報道を信じすぎていました。たまに被災地のニュースを見るときれいになっています。それを見たとき復興は進んでいるのだと思っていました。しかし実際に行ってみたら、がれきはほとんどきれいになり家も解体されていました。でもそれは、ただきれいになっているだけでした。復興が進んでいるわけではなかったのです。被災地にはたくさんの支援物資が送られました。送られた食料がどのようになっていたか知っていますか?私は知りませんでした。食料の多くは避難所に行きます。家が津波で流されなかった人は避難所に行けず食料をほとんどもらえないのです。しかし、日本中から食べ物が送られてきて、賞味期限が切れた物は捨てられていたのです。寂しい気持ちになりました。「故郷が大変だから、立ち止まってはいられなかった。1歩2歩進むのではなく100歩200歩と進もうという気持ちでやっていました」。ホテル観洋の女将さんの言葉です。自分も被災した立場なのに自分の前にまず誰かのために。「来てくれるだけでも支援なんです。そしていろんな人に伝えてください」。多くの方に言われました。ぜひ被災地に足を運んでください。少しでも多くの人が足を運び、現状を自分の目で見て忘れないことも1つの復興です。震災から2年が経ち少しずつ風化しているように感じます。被災地のニュースも 3月11日が近くなったら多くなる程度です。取材に応えてくださった方々の思いを無駄にしないように、多くの人に伝えていきたいと思いました。
高校3年生 澤山 初音
私は東日本大震災が起きたとき、ニュージーランドに短期留学に行っていたため、震災当時の日本の空気感、テレビで流れる映像の様子などはわかりません。日本人として、この時代に生きる人として、震災のことは知らなければいけない。でも自分1人で調べるにも限りがあると思っていました。そんなときにこのツアーに参加させていただき、被災地について知るきっかけになりました。このツアーでは「考える」「伝える」ことが大切だと感じました。診療所のお医者さんのお話で最も印象に残ったのは、町を出ようとは思わなかったのか、という質問に対しての答えでした。「助かった命。微力だけど、逃げようとは思わなかった」。この生かされている命の大切さ、少しでも何か被災地にできることをしなければならないという使命感を感じました。また、ホテルのおかみさんのお話からは、普段の当たり前な生活へのありがたいという気持ち、このふるさとの最大の危機を何とかしなければならない、何とかしたいという強い意志を感じ、とても心を打たれました。現地に行ってみないとわからないことをたくさん知りました。メディアがすべてではないということを心の片隅にさえ置いておけば、メディアから受け取ったことを自分で「考える」力がつくのではないかと思います。私は今回初めて宮城県に行きました。多くのあたたかい心に触れて、また来たい、もっとたくさんの人に足を運んでほしいと感じました。また、発行した新聞を読んでくださった方々からメッセージをいただきました。私たちが発信したことを誰かが受信してくれていると実感し、これからもたくさんの人に「伝えて」いきたいと強く思いました。貴重な機会を与えてくださった大村さん、そして、お話をしてくださった現地の方々にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。