17歳新聞
この17歳新聞は校内の特命編集部一同がつくりました。

第3号編集委員

責任者    
第3号編集長 山田 真代
顧問教諭代表 横山 学
編集者    
大浅 啓輔
磯 あかね
花井 聖菜
山形 生
遊佐 あさひ
木野 冴香
笹田 恵美
澤山 初音
川鰭 遥
藤本 一矢
ロゴ制作    
磯 あかね 笹田 恵美  

取材協力

uhb

行事別レポート(高等学校)
テレビ人のヒ・ミ・ツ
プロにおハナシ聞いちゃいます!おしえてシゴト人たち U型テレビ出演者のみなさん

U型テレビ木曜出演者の方々。写真左から、キャスターの水野さん、メインキャスターの大村さん、ゲストコメンテーターの小菅さん、気象キャスターの菅井さん、キャスターの八木さん。

月~金曜日(15時55分〜17時54分)にUHBで放送されているU型テレビを取材した。とてもアットホームな雰囲気で、見ている私たちまで楽しくなるスタジオ。アナウンサーの水野さんは、「大村さんはすごくパワフルで、ゲストの人を楽しませ、気持ちよく帰ってもらえるような心くばりをしてくれます。U型テレビのチームワークのよさは、大村さんの人柄にあると思う。」と笑顔で言っていた。
テレビに映るところで仕事をしているキャスターやゲストはもちろん、お天気レポートのために屋外に走り出すカメラマン、映像を見ながら生で文章を読むナレーター、秒単位に切り替えるモニター操作の人、生放送の責任感が伝わるタイムキーパー、こと細かにカンペで伝えるアシスタントディレクターなど、番組ひとつをつくるためにたくさんの人たちが協力しあっていることを知った。
今回、メインキャスターの大村さん、気象予報士の菅井さん、ゲストの元旭山動物園園長の小菅さんにインタビューしてきた。


テレビを支えるスタッフの方々


高校生時代はどんな高校生でしたか?
山登りばかりしてました。それで山登りして体を鍛えるというか、あまり球技が得意ではなかった。あとチームプレーとか。山岳部のいいところは、自分が行きたい山にいけるところ。結局リポーターと似てるんだよね。ここに行きたいからっていう目標があって頂上って目標だから達成感があるんだよね。「自分が行きたい、それでそこに行く。」で、頂上まで行く、達成感に浸る、っていうひとつのストーリーができるわけね。ただ、球技と違って「敗退」がないわけだよね。それがちょっと他の野球やサッカーをやってる人のほうが「みんなの終わった後のチームワーク」とかがうらやましいなと思いました。山岳部ではそういうのはなかったので、体力さえあればそこまで極められてしまったのでそういう経験はなかったですね。
学園祭の思い出は?
山岳部だったのでザイル(登山道具)を使って、学校の屋上から、今じゃ多分許されないと思うけど、スルスルスルっと降りていた。「すごい高校生がいる」って有名な雑誌が取材にきた。それでちょっと有名になりました。当時、ビルから降りる高校生がいるっていうそれを曲芸にして、拡声器でメッセージを送りながらビルから降りるのを特技にしていて、おかげで人気者になりました。(笑)
話し方の秘訣は?
要点を先にポンといってしまうんだ。これはちょっと難しい話かもしれないけど、要点は先に言うのが一番のコツ。「食いつき」とか「つかみ」が大事なんだ。人に話を聞いてもらうのに、お互いの時間の中で急いでいる人からみると、はじめのことがわからないと「もういいよ」って思われるから、要点が先にこなかったら「この人何いいたいのか分からない」と思わてしまう。だから、要点を先に言って「なぜならばこういう理由だからこうなんです」っていう順番で話すのを大事にすればいいんじゃないかな。一番最初に伝えたいことを言って、丁寧に伝えてあげる。あと起承転結っていうのも大事だね。物語もそうだけど、まず「結」を先にもってきて結→起→承→転→結みたいなのを心がけています。
なぜコメントがポンポンでてくるのですか?
世の中に対して興味を持っていれば、それは実は「知層」といって、みんなの中の引き出しになりますよ。今のうちに意識しておけばいいよ。ぼくには高2の子どもがいるけど子どもと一緒だよ。いつのまにか知層が身についていてるんだなって。それが心の引き出しから出てくるものなので、用意しなくても、努力しなくても慣れるものなのかな。
元気の源は何ですか?
新鮮だってことかな。同じ日は二度と来ないのだから。毎日ニュースがおきて、情報が動くから、それに対してとても新鮮なんだ。1日1日楽しく生きていけているからとても楽しいですよ。
旅してきた中で一番の場所は?
千葉に住んでいたので、昔は北海道には飛行機なんかで行けなくて。周遊券っていう2週間で鉄道が乗り放題の券を買って、まず上野から夜行電車で出て、朝青森に着く。それで青森から船に乗って4時間で函館につき、そこから特急に5時間乗って夜札幌に着き、また夜行列車で稚内か網走か釧路の3ヶ所を目指すんだ。それが旅人の北海道の上陸の仕方なんだ。夜行→船→特急→夜行で目的の場所に着く。旅人は最果ての地を目指すから。ぼくはもう「稚内へ」って決まってたんだけど、稚内に2日かけていくのを高2から大学4年まで必ずやっていた。季節ごとの北海道を楽しみながらね。昔は夜行列車もあったのでホテルに泊まらないで2週間過ごすんだ。もう体力のままに。それが旅の思い出だな。あと稚内から鹿児島まで「鈍行電車」で旅したよ。「青春18きっぷ」を使って。実は東京を夜出ると翌日のうちには熊本までいけるんだよ。信じられないだろ?たったの1600円だよ。それで2日目で鹿児島まで行き、また博多まで戻って、3,4,5日目で北海道まできて、それで最後もう1度お金払って学割の4000円ぐらいで鈍行に乗って東京に戻ってくるっていう旅をしてた。鈍行は最高だよ。あとはバックパッカーとして世界を歩いた。北京からインドまで行って、アジアを横断したりね。インドからはバスと鉄道でトルコまで行ってね。そういうことをしてました。
今、行ってみたい場所は?
ほとんど行ってるけど、南極には行っていないね。北極には今観光でいけるんだ。北極圏を1周するツアーがあってね。南米もオーストラリアもアフリカも行ったから、北極に行ってみたいね。あと、アフリカはいいよ。若者はアフリカに行くべきだね。だけど病気に気をつけてね。
この仕事に就いたきっかけはなんですか?
好奇心が旺盛だった。テレビでニュースとかを観ると、そこに行きたくなっちゃう。ここの場所ってどうなっているんだろう?とか。子どものときからそうだったんだ。あと、新聞読むのが好きだった。いろんなものを読んで想像して、そしたら自分がそこに行かなくちゃ気がすまなくなって、それでこういう仕事に就いて。おじさん、もともとリポーターだったんだ。今はこうやってスタジオにいるけど。世の中の人が関心のあるところに自分が一番先に行きたかった。それでずっと、そういう仕事がしたいと思って。新聞記者にもなりたかった。あと、テレビ局に入って何かをしたいとも思ったんだけど、そしたらたまたま今、ここにいるんです。
東京にいたときと、こっちでの生活はどうですか?
東京にいたときは、自分がいきたいところは全部行ってた。“こういう事件でこういう場所がある”とか“芸能人がこんなことした”とかあったら「行きたいです!」って全部手を上げたら全部行かせてもらえて。ほとんどぼくがそういうところに行かせてもらってた。海外にも行かせてもらって、とにかくそれは信用も必要で、「大村を行かせたら、きっと何か結果をとってくるだろう」とか。そういうことに関しては「行かせてもらえるからこそいい結果を」という気持ちでやってきました。今は立場がちょっと違うので、僕が知りたいことを代わりに行ってくれる人がいるので、その人からの報告を聞き、自分が知りたいことや視聴者の方が知りたいと思うことをなるべくスタジオで聞いて、より深く物事を知って、伝えられればと思ってやっています。
こういう仕事のためにしたどりょくって?
本をたくさん読んだかな。それはいろんなジャンルの本を読んで。まぁ、それは努力とかではなくて趣味としてなんですけどね。それを高校時代にやっていたんだ。高校までの通学時間は2時間あったので、本を読む時間がすごくあった。1日4時間本を読んでいるわけ。4時間あれば実は文庫本1冊読めるんだ。だから、古本屋に行って本当に安く買える時代で50円とかで買えて1日1冊を目標に本を読んでた。するといろんな知識が豊富になって、いろんな本のジャンルも読んで、活字を追うってことが得意分野になって、新聞をパッと見て30秒ぐらいで要点をつかんじゃうことが特技になったんだ。情報番組の司会をするにあたって、物事に関しての要点が瞬時に分かるようになったのは、努力というか自然に身についたのかなぁなんて思っています。
滑舌をよくするためには?
あまり意識しないことだね。意識すると余計悪くなるよ。「練習するとなおる」とか言われるけどあまり関係ないと思うね。それは急によくなるものではなくて、ぼくもあまり(滑舌は)よくないんだけど、意識すればするほど悪くなるから、あまり気にする必要はないですよ。笑いながら話す人は滑舌が甘くなる。照れ屋とかシャイも滑舌が甘くなるよ。


CM中も楽しくU型トーク♩

キャスター、司会者として何を伝えたいですか?
視聴者に『そうだ、そうだ』ってことを伝えたいね。見てる人は高校生たちからおじいちゃんおばあちゃん達までいるでしょ。見ている人はみんな最後は「そうだよね」ってわかりやすく、そして、わかりにくいものにもすべて、最終的には「U型テレビの大村が言ってたことってそうだよね」って感じてくれるかどうかだね。感想にしても意地悪にならないように、いやみのような一言もいいながら、でも「そうだよね」って言って、北海道の皆さんが『あいつが言っていることはなかなか共感できるな』って思ってくれたらいいなと。それは良くも悪くも。新聞もそうだと思う。読んだ人が共感するかどうかでしょ。だから「いい記事を書いた」って思ったらそれは嬉しいでしょ。キャスターもそうで、その共感してくれる話で終わったら嬉しいって思ってやっています。
これからの目標は?
難しい言葉だけど・・・、言ってやるぞ!U型テレビの視聴率、『横並び2位』。先週横並び2位っていうのを獲って、すごいお祭りだったんだ。「4位」から始まり、今3位につけている。そして2位にやっとなれた。でもこれがずっと続くかどうかわからないので、2位をちゃんと続けて、やがては1位になりたいなと。君たちが成人する頃には1位になりたいなと思ってがんばっています。

CFP(ファイナンシャルプランナーの国際ライセンス)と天気の関係は?
例えば「アイスクリームってどんなときに食べたくなる」とかってある?暑いとき、そうだよね。アイスクリームって、22℃超えると売れ行きがよくなるとか、おでんがたべたくなるのは15度以下とか、けっこうね、食べ物と気温って関係があるの。なので、その経済の分野でどういったものが売れるだろうとか、どういったときに自動販売機のあったか~いから、つめた~いのに切り替えるとか。そういうのって経済活動にすごく影響があるから、天気と経済と結びつけて、勉強して、何かお仕事できたらいいなって思いました。
菅井さんも22℃を超えたらアイス食べたくなりますか?
食べたくなる。でも、私は寒くても食べたくなる(笑)。北海道はアイスクリームが売れる地みたい。そういうのをね、お天気に絡めて調べたのね。やっぱり「あったかいとこのほうが売れるのかなぁ」って思ったら、沖縄とかそうでもなくて、北海道は1年中アイスクリームが売れている。なぜかというと、建物があったかいから。アイスとかビールとかが売れるんだって。
JRタワーのエレベーターで告白するとうまいいくって・・・なぜ?
それはね、気圧が関係しています。高気圧に覆われると、天気もいいからワクワクしたり。気圧が高くなると、副交感神経っていうのがあって、それが触発されて元気になったり高揚したりワクワクしたりするのね。上空高いところは気圧が低い。上に上がるほど、気圧が低くなる。ということは、上からエレベーターで下に下がれば、気圧が上がる。ということは、高気圧に覆われてるのと一緒になるので、エレベーターからワッと降りてきたら高気圧にワッと覆われて、ワクワクってなって、そこでワクワクしてる人に告白したら、気分いいからOKしてくれるかもっていう、そんな理論でした。
他にそういうのはありますか?
他にはねー、あとは雨上がりのあとはマイナスイオンが豊富で、そういうとき結構リフレッシュしたりとか、あとは逆に低気圧とか寒冷前線が近づいてくると気持ちが下がり気味になったり、おじいちゃんおばあちゃんのヒザが痛んだり、体調崩す人がいたりとか、今はそうやって医療と気象をくっつけた分野っていうのも研究が進んでて。ドイツとかは特に進んでて、気圧の差で高速道路の制限速度を変えたりとか、気圧が著しく下がるときは手術を行わないとか、なんかそういうのもあるみたい。
放送ではアドリブはあるのですか?
あ、それはね、天気予報って、ニュース番組の一番最後のほうにあるんだよね。なぜかというと、そのときは生放送の時間調整になっていて、長くもできるし短くもできるし、便利な情報なんだよね。で、ほとんどアドリブっていうか、全部毎日アドリブです。CM中に、「今日4分でやって」とか。今日も台本帳では4分だったけれど、前のコーナーが早く終わって「今日5分で!」って言われて、そうすると1分何かしらしゃべらないといけないので、全部アドリブ。
時間を延ばせって言われたらなにを話すんですか?
そうだねぇ。天気に関係することって、わりと話題が尽きなくて、自分である程度天気図とか頭に入ってると、何かしら話すことがあるかなぁ。あとはね、スタジオのキャスターさんが助けてくれたりする。「あ~もうしゃべれないだろうな」って感じてくれると、明日紫外線どうですか?とかね、洗濯どうしますか?とか言ってくれたりしますね。
気象予報士になったキッカケは?
私は算数とか数学が好きだったので、明日何時に雨が降るとか、明日何時間くらい晴れるとか、式にして計算するのがすごく好きでした。天気予報ってそういう分野なので、そういう理数系に興味がありました。うん。 その中で、気象予報士を選んだ理由は、もともとね、アナウンスとかのお仕事をしていて。アナウンスは「もらった原稿」を読むのがお仕事なんですけど、気象予報士は自分で原稿を書いたりとか、原稿を自分が思ったふうにお話しすることができるので、伝えるっていう仕事を考えたときに「自分で納得して自分で取材して、伝えたいな」と思ったので。その2つの理由で、気象予報士になりたいなって思いました。
どのように天気を予報している?
天気は地上から11キロくらい上空・・・、空の飛行機が飛ぶくらいの高さまでがお天気の舞台なので、天気図って高度ごとに分かれててね、何枚も何枚もあるの。この何枚も何枚もある天気図のなかで、皆さんが新聞とかで見てるのは、「地上の天気図」なの。上空の天気図を何枚もみて、あとコンピュータが弾いてくる数値っていうのかな、そのコンピュータの予測もみて、自分で天気図も見て、じゃあ明日はこうかなー?と予報しています。
予報士の一日を教えてください。
予報士の一日は、今は番組が16:00前からなので、10:00ぐらいにテレビ局に来ます。まず「どこでどういう天気になってるか」をチェックしてます。天気のほかにも生活情報ってネタをやっていて、例えば「今日は“馬”にちなんだ天気のことわざ」とか「こんなところで旬を迎えた食べ物がありますよ」とか、そういうのを取材をするのが11:00くらいから。午後に会議があって、取材して一応台本っていうのをつくるのね。午後に台本をつくって、最新の天気予報が15:30ぐらいにそろうので、その最新の情報を見て、明日の天気はこうなるとふんで放送に行きます。あ、その前に衣装に着替えて、スタジオにいって、っていう流れです。
勉強していたとき、天気図 をかいたりしていましたか?
NHKの気象通報って聴いたことある?私は予報士の勉強をしてるときに、毎晩10時に聴いて、天気図を作るっていうところを天気予報の勉強の第一歩にしました。毎日かいてると、だんだん天気も読めてくるし、春夏秋冬もね、分かってくるっていうか。「春だからこの天気になるんだなー」とか。天気図はかいたことある?毎日書いてると、段々楽しくなるかもしれないよ。私は、気象通報の放送を録音してた。録音して止めて、何度も…。私のときはカセットテープの時代だったので。


お天気解説“ソラキブン”、明日の気分は?

話し方できをつけていることは?
そうね。荒れるときほどゆっくり。すらすら、すらすらと言っちゃうと、結構流れちゃったりするので。防災のときはできるだけ低い声にしてゆっくりしゃべって、っていうのは心がけてます。
抑揚も大事?
うん。そうですねえ。私はね、前はね、高すぎるって言われたの、声が。あんまり高いと台風のときとかってうれしそうに聞こえるって言われて。なので、低くする訓練をして心がけたりしています。
好きな天気は?
晴れが好きなんだけど、でもたまには、そうねぇ。たとえば今日は勉強しないといけないって時は、明日雨降ったらいいなあって思う。遊びに行きたくなるから。
これからの目標は?
私もともと出身は横浜なのね。で、北海道が大好きで北海道に来て。北海道ってお天気もすごいバラバラだし、お天気がバラバラってことは、いろんな可能性があると思うのね。だからそうやって北海道の可能性をどんどん見つけていって、将来は北海道の社長さんになりたいと思っています。でも社長っていっても、社員一人社長一人。なんかね、こじんまりとしたお仕事したい。そして、ずっと北海道に住んでいきたいなぁって思います。皆さん道産子だもんね~。私からしたら、うらやましくて。子ども産んだら道産子になるなぁとかって。

獣医師になろうと思ったきっかけは?
とりあえず、北大で柔道をするために北大に二浪して入学しました。当時、北大では一年半の時点でどの道に進むか選ぶ制度でした。もともと生物に興味があったので、理学部や農学部を見に行ったのですが、あまり面白そうではありませんでした。そこで、獣医学部を見に行ったところ外科の先生が馬の手術をやっていて、とてもかっこよく思たので獣医師になることに決めたのです。
いのちを預かる仕事とは何だと思いますか?
動物や人が死んだときに「全部やった」と思い残すことがないように付き合うことが、命と真剣に向き合うということだと思います。例えば、飼っていた犬が死ぬときに、涙を流してごめんねと言うようではダメ。「全部やった」と自信を持って言える人だけに、動物を飼う資格があると思います。
飼育員になりたい人へのアドバイスをお願いします。
とにかく勉強を頑張るのみ。生物はもちろん、数学や国語から美術や音楽まですべての勉強が必要なんです。
退職して3年、これからの目標を教えてください。
日本には国立動物園がないので、今、国立動物園をつくる活動をしています。
なぜ飼育員に?
今までに「何かになりたい」と思って生きてきたことはないんです。もともと動物が好きだったというのがきっかけのひとつではあると思います。当時では珍しく、大学の卒業式の日まで就職が決まっていなくて、その日に旭山動物園の面接に行きました。
ほかの動物園にはないような旭山動物園の展示の仕方はどのように考えたのですか?
それぞれの動物がどうやって暮らしているか、何をしているのが幸せか、の2つを考えてつくりました。狭いけど、少しでも当たり前に暮らせるように、動物たちの気持ちになって考えていました。「人間がどう見るか」ではなく「動物がどう見るか」なんです。
旭山動物園で働いていて大変だったことや、良かったと思うことは何ですか?
前例がないことをするとき「そんなことはできるわけがない。」などと常識で否定する人を説得するのが大変でした。例えば、ホッキョクグマ館のドーム状のカプセルは、クマがたたいて割れたらどうするのかなどと批判が出たので、カプセルの下にリンゴやバナナなど好きなものを置いて、クマが叩いたときに割れないかを確かめたり、飼育員が3人くらいでハンマーを使って叩き、割れないかを確かめました。前例は自分でつくるものだと思います。動物の幸せそうな姿を見たときやお客さんの喜んでいる姿を見ると、本当に良かったと思いますね。


ゲストコメンテーターとしてわかりやすく解説してくれる小菅さん

編集後記

今回U型テレビをつくっている人たちや支えている人たちにお会いし、お話をうかがい、全員でひとつのものをつくる姿勢を感じました。この新聞も、たくさんの人のパワーでできています!楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。取材に協力していただいたUHBの皆さん、ありがとうございました。

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